「あげられなかった……」
小さな呟きが聞こえた。
「あげられなかったよ、うう」
ベットの上で膝を抱えて落ち込んでいる姿を見て、思わずふっと息をついた。
「誰に何をあげられなかったって?」
俺を見た瞬間、ラビは悲鳴をあげた。
「ひゃわわわわあ!?!?」
大慌てで黄色い包みを背中に隠すあいつ。
あんまり急ぎ過ぎて、ラビの後頭部が壁にもろにぶつかった。
がつんという音。
「いたぁーーーーいっ!」
頭を押さえてベットに突っ伏するラビエールに、俺は呆れた。
「失礼な奴だな、俺はバケモンじゃねえんだぞ」
「ごっ、ご……ごめんなさい」
目を潤ませて、少女は呻いた。
余程、痛かったらしい。
俺がベットに腰掛ければ、ラビエールは赤い顔のまま恨めしげに言った。
「でもでもイーヴィルさん、ノックしないんですもん……急に現れたら、吃驚もしますよ」
珍しく文句を言う相手に、俺は手を伸ばした。
「ほォ? ……今日は随分と不機嫌なことだな、ラビ」
こいつは滅多に恨みごとなど言わない。
とするなら今日は、余程、彼女の虫の居所が良くないと見た。
相手の頬に触り損なった。
ラビが身を引いたからだ。
彼女はベットの上で正座をして、俺を睨みつけた。
「私、不機嫌なんかじゃありません」
俺は身体を捻って、ベットに片膝を乗せた。
「怒ってる」
囁けば、少女はますます顔を赤らめて目を泳がせた。
「お怒ってません!」
「本当にか?」
俺は両膝を乗せて、さらに言う。
ベットがぎしりと鳴った。
むううと少女は子供のように頬を膨らませて、ベットの隅まで下がってしまった。
少女の背中と壁の間に、その渡し損なったものでもあるのだろう。
俺は靴を脱いで、ベットの上に胡座をかいた。
しばらく、俺達は見つめ合う。
少女の機嫌が直らない限り、御預けが続くことは必須だろう。そんなことを感じて、俺は参ったなと頭をかいた。
時に、この少女ほど難しいものはこの世に存在しない。
沈黙の後、口を開いた。
「リヴォルトって奴、知ってるか?」
ラビは上目遣いで俺を窺う。
急に話し掛けられて、戸惑っているようだった。
俺は構わず続けた。
「そいつが言っていたんだが、この会社の誰かがマフィンを焼いて食わせてくれたんだと。それがまた、かなりの絶品だった、とか」
「……」
「残念だ」
俺が呟けば、少女は訝しげに首を傾げた。
俺は天井を見上げ、言ってやる。
「リヴォルトは、誰が作ってくれたかまでは教えなかった。興味があっただけに…残念だ」
溜め息をついて見せると、相手はそろそろと身を乗り出した。
「イーヴィルさんは、マフィンが好きなんですか?」
予想通り、相手が興味を示してきた。
俺は少女に少し近づいた。
「まぁな」
「でっ、でも! あんなにたくさんのお菓子」
ラビが言い淀んだので、肩を竦めて見せた。
「ばぁか。何度も言わすな。あれは会社……しかも本社だけでなく支部の方まで回っちまうんだ。瞬く間に消えるだろうよ。つうか結局、俺はひとっつも食ってねえしな。あんだけ量がある癖に、うかうか食えたもんじゃねぇ」
「ええっ!? そうなんですかあ!?」
心底意外そうに口走った後、ラビは俯いて何やらごにょごにょと言った。
「イーヴィルさん、あの……」
「何だ?」
静かに続きを促してやれば、少女はさらに俯いた。
きらきら光る金色が表情を隠しているが、覗く耳は赤い。
ラビは小さな声で言った。
「リヴォルトさんが言っていた人がどなたか存じ上げませんが、わ、私も実は……マフィンを作ったんです」
知ってる。
俺は心の中で呟いた。
だって、リヴォルトがにやにやしながら、こいつのマフィンを絶賛してたんだからな。
ひと足先に味見しやがったのは些か腹立たしいが、今回ばかりはあの男に感謝しなくてはなるまい。
ラビは続けた。
「その誰かの味には、だいぶ劣ってしまうでしょうが……もし、……もし良かったら…」
そろそろと、少女は背中からくしゃくしゃになった黄色い包みを取り出して、思い切ったように俺に差し出した。
嗚呼、見間違うはずもない。
走り去った彼女の手で揺れる、あの黄色を。
開ければふわりと、バターの香りが広がる。
手に取れば、仄かな温かみを感じた。
迷わず口元に運び、ぱくりとマフィンの端をかじった。
その様子を見守る彼女は、不安げに言った。
「さっき焼きたてだったんですけど、……冷めちゃって。えっと、ごめんなさい」
如何やら俺達へ渡す時に、焼きたてにしていたらしい。
それで、そわそわと時計を気にしていたのか。
俺は黙々とマフィンをかじって、最後の一片を口の中に放った。
文句なく、美味しかった。
中にベリーソースを閉じ込めたのは恐らく、あのカフェのチョコレートケーキを参考にしたのだろう。
そんな思い出に、思わず口が緩んだ。
俺は指の菓子片を舐め取って、感想を言った。
「ベリーソース、入れたんだな」
ラビはとことことベット上から近づいてきた。
「はい! 甘いだけだと飽きちゃうかな、と思い、まし…て」
俺の表情を窺うように、遠慮がちに見上げてくる少女の行動は、小動物を思わせた。
彼女の内心を示すように、その小さな手が密かにぎゅっと組み合わされるのを見た。
こいつを安心させる言葉を、俺は知っている。
そっと相手のちっこい頭に手を伸ばしてみると、今度こそ、間違いなく届くのがわかった。
その距離に満足し、ぽんぽんと相手の頭を撫でて言った。
「美味いな」
その瞬間、ぱあっと花が咲くように、少女の顔に笑顔が弾けた。
「えっ、あっ、そぉですか! 良かったあ~……本当に良かったです~!」
心底ほっとしたのか、少女は嬉々としている。
本当、わかり易い奴だ。
彼女の機嫌は、大幅に改善されたようだった。
そんな様子に微かに口角を上げ、またマフィンを手に取って口に含んだ。
御預けが終了したのだから、栄養を摂取する作業を再開しても問題はあるまい。
職業柄、甘いものと無縁な生活を送っているのだから、今日1日くらい嫌ってほど糖分を摂取したってばちは当たらないはずだ。
そんなことを思いながら口に運んだマフィンの、舌に広がる香ばしい味に、思わず唸る。
今さらだが、こんなプロ仕様なマフィンをどうやって作ったんだか、この娘。
微かな疑問も、甘酸っぱいベリーソースの味にかき消えた。
不意に「あ」と、少女が俺の顔を見て笑った。
俺はきょとんとする。
「何だよ??」
「ベリーソース、入れ過ぎましたね」
ふふふと可笑しそうに笑った後。
少女の舌が、俺の口の端についたベリーソースをさらっていった。
「っ!?!?!?」
するりと通っていった温かさに、思わずマフィンを取り落としそうになった。
この零コンマ数秒の間に、心拍数が急上昇した気がする。
動揺して相手を見れば、ラビは顔を離して言う。
「お茶でも淹れましょうか」
睫毛を伏せた少女はペロリと桜色の唇を舐めて、ベットから降りる。
その振る舞いの妖艶さに動くこともできず、俺は唯々、少女の背中を見送るのだった。
甘党少女と仕返しマフィン
(本当にこいつは、あの子供な振る舞いをしていた奴なのか?)
(こいつに翻弄されたのは、初めてだった)
ハッピーバレンタイン!
ということで、王道に手作り菓子をプレゼントさせてみました\(^o^)/
時系列的には、今年のバレンタイン話→一昨年の紅い瞳の彼の場合(バレンタインver)話という感じですかね。
時系列順に、今回の話を見てからそちらを読むと納得することもあるかもしれません(^_^;)
因みにラビが上手にマフィンを作れるのは、昔、黒龍神にあげるマフィンを焦がしてしまい(一昨年の黒い瞳の彼の場合参照)、たくさん練習したからなんだろうと推察します。
如何でもいい話をしてしまいました……\(^q^)/
甘いものを合法的に食べまくれる日は正義ですよ!
ハッピーバレンタイン!
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