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*バレンタイン前編

何やら今日は、ラビエールが挙動不審な気がする。

俺はぺらぺらと書類を捲りながら、そっと横目であいつを見る。

ラビエールはそわそわと社長室の時計を見ては、自身の手を弄繰ったり、読み終えた本を開いたりしていた。

相手の忙しなさに、遂に俺は溜め息をついた。

 

 

「ラビエール」

 

 

声を掛ければ、ラビはびくんと肩を跳ね上げた。

 

 

「はい、何でしょうイーヴィルさん?」

 

「……何かあったのか?」

 

 

聞けば、ラビはぶんぶんと首を横に振った。

 

 

「ななな何でもありません!」

 

 

俺はペンを走らせながら思う。

 

何かあったな。

 

この少女、嘘や隠し事がこれでもかというほど下手である。

追求すべきか否かを考えていると、かちりと時計の分針が音を立てた。

ラビは嬉しそうに立ち上がる。

俺は驚いて、相手を見上げた。

 

 

「何処へ行く?」

 

 

少女は困ったように笑って言った。

 

 

「秘密です」

 

「何だそりゃ」

 

 

俺は訝る。

ラビは逃げるようにぱたぱたと扉に向かっていった。

 

 

「秘密は秘密ですよぉ」

 

 

何故かうきうきとそんなことを言って出て行く少女を見送り、俺はむすりと机に頬杖をついた。

 

 

「…そんなに俺には言えねえってか」

 

 

不機嫌なままペンを書類に突っ立てていると、部屋に入ってきた麻桐が「おやおや」と言った。

 

 

「我が家の黒兎さんは、今日は不機嫌なようですねぇ」

 

「うるせェよ」

 

「書類が泣いていますよ」

 

 

半ば呆れたように、麻桐はぎしりと肘掛け椅子に座る。

言われてみれば確かに、俺の書いた文字のインクが荒れて、黒い涙の染みのように見えた。

俺はペンをインク壺に放り込んで言った。

 

 

「なあ、麻桐」

 

 

麻桐は、デスク上に銃の部品を広げながら応じた。

 

 

「何ですイーヴィル?」

 

「ラビの奴、俺達に何か隠し事してねえか? 聞いても秘密ですとか言って、逃げやがったし」

 

 

ふーっと息を吹きかけてインクを乾かしていると、麻桐はにっこりした。

 

 

「恋人でもできたんでしょう」

 

「ぶッ!?!?」

 

 

むせる俺に向かって、麻桐はニコニコしたまま続ける。

 

 

「というのは冗談でして」

 

 

軽く殺意を覚えた。

 

 

「…てんめぇええ……!」

 

 

げほげほと口を押さえながら、俺は涙目で上司を見上げる。

麻桐は我関せずといった感じで、肩を竦めた。

 

 

「ま、今日が何の日か考えれば、自ずと解るものですがねぇ」

 

「今日??」

 

 

俺は首を傾げる。

はて。

何か特別なことでもあっただろうか?

腕を組んで考えていると、ばーんと扉が勢い良く開いて、部下が入ってきた。

吊り目がちな少女は、その細身から想像もできないような力で、あり得ない量のダンボール箱を抱えていた。

 

 

「ボスぅ~、届けもの!」

 

 

どさどさと箱を下ろす……つーか落としてる少女に、麻桐はニコニコした。

 

 

「ご苦労様です、イリス」

 

 

イリスは俺を発見して、屈託無く笑う。

 

 

「こっちがイーヴィルの奴ね」

 

 

どさーっと同様に置かれる……つーか落とされるダンボール箱。

俺は立ち上がって、床のダンボール箱共を眺める。

 

 

「……。……何だこれ」

 

 

誰にともなく尋ねれば、イリスは心底驚いたように声をあげた。

 

 

「はぁ!? 何って、お菓子に決まってんじゃん! 爆弾とかも混じってたけど、入り口でちゃんと分けたんですからねッ」

 

「菓子ィ??」

 

 

ますます訳がわからなくなって上司を見れば、麻桐はダンボール箱を開け始めていた。

イリスは言う。

 

 

「イーヴィルってば、バレンタインにお菓子が届くのは当たり前じゃん。毎年毎年、楼閣とかカジノとかバーとかの女の子が、キャーキャー言いながらウチに送ってきてんの知らない?」

 

 

ようやく納得し、箱の山を眺めた。

成る程、今日はバレンタインだったのか。

道理で、ラビが俺に秘密ですとか言うわけだ。

イリスはごそごそとピンクの袋を取り出して、俺に突き出した。

 

 

「んで、オレからはこれね」

 

「ああ、サンキューな」

 

 

可愛いもの好きのイリスのことだから、こういうイベントには準備が良い。

しげしげと過度に可愛過ぎるラッピングを眺めていると、イリスは悪びれもせずにやっとした。

 

 

「買った奴だけどね、あは」

 

「情緒ねぇなオイ」

 

 

俺が突っ込む中、イリスは麻桐にも同じピンクの包みを手渡して、早々に去っていった。

ダンボール箱に手も触れず、麻桐に尋ねた。

 

 

「毎年こんなの来てたか?」

 

「来てましたよぉ?? 余程、如何でも良かったんですねぇ。覚えてないなんて」

 

「否、待て。思い出した。去年、何も覚えてねぇのはアルコール入りのチョコ食わされたからだろ」

 

 

忌々しい思い出がよみがえり、俺は顔を顰めた。

気がつけば、2、3時間の記憶がぶっ飛んでいた。

麻桐は次々とラッピングされた菓子でいっぱいのダンボール箱を開けながら言った。

 

 

「チョコレートボンボンごときで酔っ払うだなんて、思いもしませんでしたけどね。何処まで酒に弱いのやら」

 

「ほっとけ。酒なんて、この世で一番如何でも良い。……ところで、如何するつもりなんだこの山??」

 

 

聞けば、麻桐はイリスのチョコレートを口に放り込み、指を舐めながらダンボール箱を放った。

 

 

「会社内で分けましょう。ま、毒入りなんて御免ですから、ちゃんと注意喚起はしますがね」

 

 

うかうか食べれたものではない。

俺は溜め息をついた。

つくづくマフィアとは、敵の多い仕事である。

ダンボール箱の危険物を見やれば、麻桐は苦笑した。

 

 

「もっとも、僕宛てとはいえこんなにたくさん食べたら、毒など入っていなくとも糖尿病で死にますがね。僕は、部下からのもので充分ですよ」

 

 

ぱくりと、麻桐はまたイリスのチョコを口に含む。

こいつらしいな。

麻桐に倣い、俺もラッピングからリボンを解き始めた。

ちょうど包みを開いた時に扉が開いて、息を弾ませたラビエールが入ってきた。

 

 

「あの! …って、うわぁ! 凄い、これ全部お菓子ですかぁ!?』

 

 

ラビは、積まれたダンボール箱を見て驚愕する。

さっと彼女の手が、持っていた黄色い包みを背中に隠すのを、俺は見逃さなかった。

俺は肩を竦めてみせる。

 

 

「如何やら、そのようだ」

 

「ま、会社宛てなので、この量ですね」

 

 

麻桐は呑気にそんなことを言って、チョコレートを咀嚼した。

オイ、ちょっと待て。

半分以上てめぇ宛てだって、さっきイリスがそう言っていただろ。

ジト目で見ても、麻桐は淡々とチョコを口に運ぶだけだ。

ラビはダンボール箱をずいーっと眺めて、低い声で言った。

 

 

「へえ~、そうなんですかぁ。……たくさんありますねぇ』

 

「食べきれねぇな」

 

 

と、俺。

 

 

「全部食べたら死にますね」

 

 

と、麻桐。

 

ラビはつつつと扉の方へ後退りした。

笑顔が引き攣っている。

 

 

「で、ですよね~……」

 

 

きゅうっと、少女の手に力がこもるのを見た。

あ、と俺は思う。

これは少し、不味い状況ではなかろうか。

心中穏やかでなく、取り繕うように聞いてみた。

 

 

「ところでラビ、何か用があったんじゃないのか?」

 

 

言ったものの既に遅かったのか、ラビエールは困ったように笑って俺達の方へ身体を向けたまま、後ろで扉の取っ手を探っていた。

 

 

「や、別にっ、用ってほどじゃないです……それでは、失礼しましたっ!」

 

 

取っ手を掴むや否や、彼女はぴゅうっと風のように逃げていってしまった。

開け放たれた扉の向こうに、金髪を揺らしながら走る背中が小さく見えた。

その手に握られた黄色い包みが、妙に鮮やかだった。

気不味げに、麻桐を見る。

 

 

「あ、麻桐……」

 

「ふむ、これは……やらかしましたねぇ、イーヴィル」

 

 

珍しく、麻桐もばつの悪そうな顔をしていた。

身に沁みる沈黙が流れる。

麻桐は最後のチョコ一粒を口に入れて、言った。

 

 

「何やら、御預けを食らった気分ですね」

 

 

俺はこめかみを押さえて、問題の菓子の山を見る。

 

 

「…量より質なんだがな、ラビエール」

 

 

 

欲しいのは唯ひとつ

(どんなに輝く高級な包みより)

(拙い君の、黄色い包みが)