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*教科書持ちましたか?

「はいっ、持ちました!」

 

「筆記用具、ハンカチ、ちり紙、学生証」

 

「全部鞄の中ですよ、麻桐さん」

 

「……てめぇら、まじで親子か」

 

 

運転席で頬杖をついて、イーヴィル・B・レインはバックミラー越しに後ろのふたりを見やって溜め息をついた。

麻桐は、少女の襟首を正してあげながら言った。

 

 

「盗聴器を仕掛ける場所は、学生証に挟めた地図にマークしてありますので」

 

 

ラビエールは鞄を抱きながら、こっくりと頷いた。

そんな日常では出てきそうもない会話を耳に、イーヴィルは車のエンジンを回す。

微かな不安がちくりと胸を刺した。

 

 

「どうせ1週間の体験入学だ。気楽に行ってこい」

 

 

イーヴィルの言葉に、ラビはやはりこっくりと頷いた。

その表情は何処か上の空で、緊張と好奇心と不安と期待がない混ぜになっていた。

あがり症で内気な少女が、果たして1週間保つのか、彼には甚だギモンだった。

 

 

「……あのう」

 

 

おずおずとラビが声を漏らしたので、ふたりの男は同時に応じた。

 

 

「何だ?」

「如何しました?」

 

「えっと」

 

 

ラビは学生服を見下ろして、目を潤ませた。

 

 

「へ、へ、変では、ないでしょうか? わ私、学校行くの、とても久し振りで」

 

 

弱々しい声に、麻桐はにっこりした。

 

 

「何処から如何見ても、一般的な女学生ですよラビ。何処も変なところはありません」

 

「ま、俺や麻桐が学生に扮するより、百倍まともだな」

 

 

イーヴィルは、ハンドルをきりながらそんなことを言う。

もしラビエールが学校へ行くことを拒んだなら、この学生服を着るのは彼になっていた筈なのだが。

そんな羽目にならずに済んだのは、ひとえにこの少女のお陰だろう。

ラビは安心したように「そうですかー」とふにゃりと笑った。

麻桐はくすくすと運転席の男を見やった。

 

 

「おや、別に良いと思いますけどねぇ…学生服」

 

「良くねぇよ。何でだよ。何で俺が女学生の服着なきゃならねえんだよ」

 

「ブレザーに紺のプリーツはお嫌いでしたか? 結構人気なのですが」

 

「そういう問題じゃねえんだよッ!」

 

 

赤信号で止まる車の中に、イーヴィルの叫び声が響く。

確かにこれは好き嫌いの問題でなく、人権の問題だった。

 

彼は男である。

 

ブレザーに紺のプリーツスカートを着こなしたラビエールは、ふたりの会話がよくわからないのか首を傾げていた。

そんな少女の肩を抱いて、麻桐は足を組みながらにやにやした。

 

 

「可愛いと思いますけど、ブレザー」

 

「そりゃ、そいつが着ればな」

 

 

げんなりとイーヴィルはバックミラー越しにラビエールを示した。

ふむ、と彼女を横目で見てふと思いついたのか、麻桐はイーヴィルに尋ねた。

 

 

「ところでイーヴィルは、ブレザーとチャイナドレス、どちらが良いと思います?」

 

「ぁあ??」

 

 

唐突な質問に、彼はアクセルとブレーキを踏み間違えそうになる。

信号が青に変わった。

麻桐は構わず真剣な顔で口を開いた。

 

 

「香港は長らくイギリス領でありましたから、イギリスで主流のブレザーが数多く存在します。が、歴史を重んじる学校では、制服にチャイナドレスを採用するなんていうところもありますね。歴史的に後者の方が正しい気もしますが、如何でしょう」

 

 

いきなり何を聞かれるかと思えば、制服の好みである。

イーヴィルは呆れたように、車を発進させながら応じた。

 

 

「俺の趣味ってか? ……制服なんて、激しく如何でもいい」

 

 

はぐらかすような釣れない答えに、麻桐はラビの方を向く。

 

 

「ラビはどちらが可愛いと思います?」

 

「私ですかぁ?」

 

 

真面目な少女は、うーんと唸った。

 

 

「私はドイツ生まれですから、ブレザーは見慣れてましたけれど……うーん、やっぱりチャイナドレスの方が可愛いんじゃないでしょうか。その国の民族衣装って、良いですよね!」

 

 

きらきらした笑顔で答えるラビに、イーヴィルはやれやれと首を振った。

 

 

「実際、チャイナドレスで授業に集中できるか別問題だろ。スリットの露出度と、身体のラインを強調した服じゃあな…可愛いっつうよりむしろ……」

 

 

イーヴィルの言わんとしていることを理解して、ラビは赤面した。

 

 

「あっ、わわわそういえばそうですね! チャイナドレスじゃ、大人っぽくなっちゃいますから……やっぱり可愛いの観点で言うならブレザーでしょうね!」

 

 

ふたりの会話に、麻桐は納得したように頷いた。

 

 

「嗚呼、イーヴィルは色っぽいより可愛いが好みですもんね」

 

「麻桐てめぇ…」

 

 

ラビを眺めながら言う上司に、彼は紅い左目を光らせた。

彼の目が余計なことを言うなと訴えている。

そんな彼の上司は唯、猫のように口角を上げ、上気し始める部下の顔を見やった。

イーヴィルは上司を睨みつけながらハンドルをきった。

 

 

「そう言うてめぇは如何なんだよ?」

 

 

麻桐はにっこりした。

 

 

「人に聞くなら、まず自分の意見を言ってからにしてください」

 

「うぐ」

 

 

心底ばつが悪そうに、彼はバックミラーから目を泳がせる。

ラビエールも興味津々な様子で、運転席に笑いかけた。

 

 

「私も知りたいですっ! イーヴィルさんは、制服ってどんなのが良いと思いますか?」

 

 

何の悪意もない純真な笑顔に追い詰められたのか、イーヴィルはまた「うぐ」と呻いた。

とても居心地が悪そうだった。

 

 

「…ら……」

 

 

ぼそりと、彼の口が言葉を発した。

小さ過ぎて、それは周りの騒音にかき消される。

麻桐は心底楽しそうに耳に手を添えて、部下に聞き返す。

 

 

「すみません、何と言ったか聞こえませんでした。もう一度お願いできますかイーヴィル?」

 

「~~~……」

 

 

みるみるうちに彼の頬に赤みが差した。

 

 

「だ、だからッ」

 

 

顔を片手で隠すように覆って片手運転しながら、彼はやけっぱちのように大声をあげた。

 

 

セーラー服!

(あ、セーラー服って可愛いですよね! 私、ネット画像しか見たことないですけど)

(ぶはッ…くっくっく……成程。やはりイーヴィルは綺麗な女性より、可愛い女性が良いと)

(煩いッ! 笑うな! くそ…ッ)

(嗚呼、安全運転でお願いします。反対車線走らないでください)

(きゃあッ! イーヴィルさん、前! 前!)

 

((因みに僕は、ブレザー派ですけど))